その314 #7 【西方向への伝播】
みなさんこんにちは😺
もう正月から明けて落ち着いてきましたか❓
休みボケしてなかなか仕事モードにならなかった方もそろそろ体のリズムが出来てきたのではないでしょうか😊
それから今日は成人式ですね🎵
朝から着物を着た人たちを見るとなんだか微笑ましい気持ちになりました🤗
皆さんかっこよくて、可愛かったです😍
あの人たちが未来ある日本を作っていくことになりますが、この先の日本はどうなっていくんでしょうね💦
輝かしい未来が待っていることを願わずにはいられません😆
みんなでいい日本が作れるといいですね👍
さて今日もチーズのお話しです🧀✨
・西側へのルート
メソポタミア文明がチーズを作った文明というところはお話ししました。
そこから東西にチーズ文化は伝わっていきます。今日は西側のお話し。。。。
メソポタミアから西側に文化が伝わる場合、どうしてもトルコを経由することになります。
その時期、トルコではヒッタイト文明が文化的に繁栄していました。
酵素による凝乳形成の技術は、そのヒッタイト文明との融合によってできたと推測されています。その後、西への伝播の方向は3方向に分かれます。
①ギリシャ、ローマの地中海文明と融合するルート
②黒海西岸沿いに北上し東欧地域のスキタイ系定住民の文明と融合するルート
③エジプト文明と融合するルート。
順番に見ていきましょう。
①ギリシャ、ローマの地中海文明との融合
地中海ルートはイタリア半島の先住民エトルリア人たちの文明と融合、またはアルプス山脈より北の地域にいたケルト人やゲルマン人たちの文明と融合していきます。
それらは、羊、山羊からの搾乳に加えて牛からの搾乳技術と、冬の食料保存の必要から大型で、しかも水分の少ない保存性の良いチーズを作る技術の定着に結びつきます。
②東欧文明のルート
こちらのルートは、酪乳そのものの消費と低気温によるクリームの採取からバターを作る技術の痕跡が多く残っています。
そのため、チーズを作る技術がとても遅れていきます。ロシアとの関係もあるようですが、ほかのルートに比べると搾乳に適した地域だったにも関わらず、バターの技術に留まってしまっていたようです。
しかし、なぜか紀元前の歴史をみると、すでにハードタイプのチーズや青カビチーズに関係する記録は残されています。
③アフリカルート
アフリカ大陸へ伝播するルートはエジプト王朝が乳加工に積極的でなかった為、やがてチーズなどの加工は消滅します。
ただし、マサイ人を始め、生乳、発酵乳、バター製造などを行うアフリカ酪農民の存在は現代も継続し、独特のアフリカ系乳加工の技術を伝承しています。
明日は東への伝播のルートをお話ししていきますね🤗
今日はこれで終わりです🤗