その315 #8 【東方向への伝播】
みなさんこんにちは😺
今日もチーズのお話しです🧀✨
何にでも歴史というものは存在します。
人間にもありますし、この地球にもあります。
辿ってきたものを見つめると新たな発見が見えてきたりするものです。
チーズという食べ物のひとつとっても、なぜ今私たちがチーズを食べられるのか❓
どうしてヨーロッパのチーズは多種多様で歴史が長く発達してきたのか❓
そういうところを紐解いていくのって楽しくないですか☺️👍
わたしは昔から歴史が好きで、マンガだったり小説だったり歴史ものを読むことが昔はとても多かったです(最近、あまり読んでません💦)
突き詰めていった時の、スッキリするのがとても気持ちいいんですよね🎵
あっ!だからそうなのか!
なるほど、だから今ここにこれがあるのか!
こういう気付きって日常を送っていると見落としがちになるそうなので、なるべく意識するようにしています✨
みなさんも今回はチーズのお話しですが、結構日常に転がってる物なので、意識してみてください😊
新たな発見は楽しいですよ👍👍👍
さて、本題っと。笑
・東への伝播
昨日はメソポタミア文明からみて西方向への伝播についてお話ししましたので、今日は東ルートについてです。
東ルートの伝播の仕方は2通りに分かれます。
まず最も大きなもので言えば、西アジアからの東方移住によってインド大陸に侵入したインド文明による乳食文化です。
この文明はアナトリア地域を通らなかったのでヒッタイト文明との交流がなかったこと、ヒンドゥー教の教義と結びつく牛信仰との関連によって全くレンネットを利用しないこと。酸性化凝乳のみの加工を行うことが特徴でした。
また生活スタイルは定着居住だったので、食品の保存性は必要ありませんでした。
インドではダヒという凝乳、またはダヒを濾したフレッシュチーズのパニールなどが定着。
ブータンでは同様のチーズをダツィと呼び、それを乾燥させたチーズ(クルット、チェルビー)もあってこれらはアジア地域におけるチーズの中心的存在になっています。
これだけでもかなり面白いことがわかりますね。文明どおしの交流がないということは発達に少なからず影響を与えるのは考えなくてもわかる部分です。
宗教上の理由からレンネットが使えないというのもその後のチーズのバリエーションに大きく影響します。だからダヒと呼ばれる凝乳が発達したりそれを使ったパニールが出来ていくんですね。
インドではチーズ文化はそこまで発達できなかった理由が見えてきます。
もう一つの東方向は、カスピ海東側を抜けて中央アジアのカザフスタン地域に伝播していった遊牧民チーズの流れです。
これはモンゴルまで定着していきます。
草原が多い地域なので羊、山羊の搾乳がおもになりました。そして加工技術は酸性化凝乳がほとんどだったそうです。ただし、西アジアの西方からトルコ経由でロシア南部地域に入り、スキタイ部族と接触した遊牧民はレンネット利用の知識を共有していたと考えられています。
このアジアの流れの中にもちろん日本もありますよ🤗
唐時代を代表する中国への伝播経路はいわゆるシルクロードの経路上になります。
したがって日本の奈良、平安時代に存在していたチーズと言われている『蘇』もその流れを辿ればこの伝播経路にあると言われています。
メソポタミア文明から日本に伝わるのだからやはり中国を経由するのは当たり前のルートですね。その中でインドを通ってきているので牛信仰は無い日本にも間接的に影響があったのは面白い部分だと思います。
これでチーズが世界に伝わっていった大まかな部分はお話しできました👍
明日からも続けてチーズのお話しです🧀
今日はこれでおしまい🤗
また明日です😁