その203 イタリアの偉人たち (後編)②
みなさんこんにちは😺
イタリアの偉人たちを調べるにつれて興味深い事実が結構出てきたので一回で終わるつもりがこんなにも長く何回かに分けて書くことになりました💦
もともと歴史は好きな方なので歴史の背景がわかってくるのが勉強になったので皆さんと一緒に勉強するつもりで今回は書いております🙇♂️
少し続きますがお付き合いいただければと思います。
では偉人たちの続きです💁♂️
まだまだいるぞ、偉人たち
④エミリオ・プッチ
プッチ柄模様というのがこの方の特徴のブランドみたいですね👍
このエミリオ・プッチさんの経歴がすごいので少しご紹介します。
彼はフィレンツェの侯爵家に生まれます。そして1934年から1935年にかけてスキーナショナルチームに所属。セレブ達がスキーが上手いのはなんとなくわかるような気がします。
そこで自分でデザインしたスキーウェアを着ていたらしいです。そこからミラノ大学卒業後、アメリカ合衆国ジョージア州の大学に就学します。なぜかいきなりアメリカに渡るんですね。何があったんでしょうか?その後さらに1937年にオレゴン州ポートランドのリード大学で社会学を学ぶ。なぜ社会学なのか?そして1939年イタリアに帰国。やはりイタリアが良かったんでしょう。フィレンツェの大学で1941年、政治学で博士号を取得します‼️また、すごい😆💦第二次世界大戦中にはイタリア空軍でパイロットを経験しその後、政治家になりイタリア議会にも10年間在籍した、、、という経歴なんです。
すごくないですか❓
公爵家に生まれ育ってのちに政治家になる。
う〜ん、完璧すぎる😅
戦争にも参加して空軍でパイロットをしていたなんて、、そしてその後デザイナーです。
このかたの1番の転機は1947年、高校時代のスキーウェアを雑誌に掲載したところ、これが予想外の人気を得たところでしょう。その後は同誌から女性用の冬服デザインを依頼され、ニューヨークで売り出され、スポーツウエアのデザイナーとして評判を高めます。先の細いパンツ、カプリパンツ、ショーツ、リゾートドレス、鮮明なプリント柄と大胆な図柄、色を使った通称「プッチ柄」が特徴的で、マリリン・モンローやエリザベス・テーラー等のアメリカを中心に各国のセレブに受け入れられ、衣服、カーペットなどを制作するまでに至ります。1971年にはあのアポロ15号使節団のロゴなどを制作しました。
書いてるだけで凄すぎてびっくりです😳
プッチ柄、調べて見てみましたが他では見ないような、とても特徴のある柄ですね。
私レベルでもオシャレなのはわかりました😆
そしてこのエミリオ・プッチのブランドはお家騒動などはなく、しっかりブランドイメージを保ったまま経営なされてます。安心、安心。笑
⑤サルヴァトーレ・フェラガモ
サルヴァトーレ・フェラガモは、イタリア南部カンパーニア州の出身です。
大家族で14人兄弟のうちの11番目だった。最初にサルヴァトーレが靴を作ったのは9歳の時だそうです。教会の儀式に参加する妹の靴だったといいます。とても妹思いのお姉さんですね。その後なんと、11歳の時に自宅で靴屋を開業します‼️なかなかのやり手です笑。
15歳でアメリカのカウボーイブーツの工場で働いていた兄弟がいるボストンに渡ります。靴職人として生きることを決めていたのでしょう。その後カリフォルニアに移り、サンタバーバラで映画の衣装として靴を製作したり、ハリウッド俳優らを顧客にし「スターの靴職人」と名声を集めることになります。
そのあとに、13年間いたアメリカからイタリアに戻りフィレンツェで「サルヴァトーレ・フェラガモ」を開業します。しかしここで世界大恐慌の余波を受けてしまうんです。やはり一度倒産してしまいますが元王妃などの王侯、貴族や有名人の顧客を獲得し、みごと復活するそうです。人脈を持っていたからこそ復活できたのでしょう。フェラガモの靴は女性の間では憧れの対象にもなっているのだそうですね🤗
まとめ
イタリアの偉人たちの歴史、面白いですね😆
ほとんどが挫折や失敗からの成功という軌跡を歩んでいます。
勉強になりますね‼️
明日もまだもう少し続きます💁♂️
今日はこれで終わります🤗
ではでは😺