その170 ピザの歴史(後編)
みなさんこんにちは😺
ここまで2回に分けてピザの歴史についてお話ししてきました👍
前回の中編はこちら↓↓↓↓
そして今回が後編でピザの歴史はこれで完成します🎵イタリアはナポリでどんどん発達していったピザ🍕それがイタリア全土に広がるのは時間の問題でした🤗
形は変わったり製法が違ったりしますが、イタリア人の食事の中にしっかりとピザは根付いていくわけです。
そしてそのピザが新大陸発見によってイタリア移民によってアメリカ大陸に伝わっていくのです。
アメリカでのピザ、そこから日本へ伝わる
新大陸が発見されてトマトが南アメリカからヨーロッパに伝わりました🍅✨
そして今のピザの原型が出来上がりました。
そのピザがアメリカへイタリア系移民の手によって広まります。
しかし最初はかなり苦戦したのです。
石炭釜で焼いたようです。すると柔らかめのハリのない生地のピザだったよう。
その後ニューヨークのリトルイタリーで『カットピザ』が誕生する🍕
ピザをカットして売るスタイルは始めはイタリア系移民としてもやりたくはなかったそう🥺
イタリアではカットされたピザというよりもテーブルで1人1枚、ナイフとフォークで食べるというのが習慣になっているからです。
でもなんとしてもアメリカでピザ文化を成功させたかったイタリア系移民達はそのプライドを捨てます。アメリカでのピザを発達させるためには必要な事だと判断したのです。
素晴らしいですね‼️
頑なに伝統を守ることも大事ですが、革新や成長を遂げるときには古いものを捨て去るということが必要になってくる時はわたしもあると思っているのでこの判断はとても正しかったと思います。
このかいあってアメリカで徐々にピザが受け入れられていくのです。
まずピザという食べ物の文化を受け入れたアメリカは次にデリバリーという分野に発展します。そう、みなさんがよく知っているあのデリバリーピザが誕生するわけです。
これも始めはテイクアウトから始まったことがのちに家まで持っていくことに発展したそうです。そういう需要をいち早く取り入れ、そして見事成功するわけです。
デリバリーピザの1号店はピザハットという名前で完成しました。まだ日本にもあるしアメリカにも健在ですね‼️
でも今は『ドミノピザ』が一番有名で大きな会社になりましたが😅
そして日本へ…。
日本初のピザは諸説ありますが第二次世界大戦中にイタリア海軍の乗組員2人がわずか2ヶ月間だけ神戸のレストランで始めてピザを焼いたという説がひとつ。
もうひとつは兵庫県宝塚市にあった宝塚温泉の近くでイタリア人の子孫が日本で始めてイタリアレストランを開いてそこでピザが焼かれたという説。(そのレストランはまだ宝塚市で元気に営業されてますよ。)
どちらにせよ、関西の地で始めて外国人の手によって誕生しました‼️
その後1964年に日本ペプシコーラの創業者がアメリカの冷凍ピザを、始めて日本に持ち込み、ピザが家庭で食べられるようになった。
それからアメリカのシェーキーズが出来たり、喫茶店やファミリーレストランでピザやピザトーストなるものが誕生し始める。
そして1985年に日本ではじめてのデリバリーピザであるドミノピザが誕生しています。
その後は記憶に新しいかたもいるかと思いますがバブル経済の中での1990年代のイタ飯ブームですね。これがかなり大きかったですね😳
どんな人でも手軽に食べられてお洒落なイタリア料理が日本に根付いたキッカケではないでしょうか❓
現在はイタリア料理なんて珍しくもなんともないかと思います。デリバリーピザも、もはや当たり前のもの。カジュアルなイタリア料理店も乱立していて淘汰される時代に突入していると思います。(おーこわ。)
そして現代へ
これから日本のイタリア料理、ピザ文化はどうなっていくのでしょうか。
発展していつまでも愛されるイタリア料理であり続けることを願っています。
これでピザの歴史については終わります🤗
ではでは😺
また明日ですよ!
▼四角いピザ🍕🍕🍕
こんなのも当たり前の時代ですね👍
まだまだあるぞ!
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